はじめに
量子力学は魅力あふれる学問である.シュレーディンガーの猫のようなパラ ドックスがいくつか出てきて興味をそそるし,何といってもエレガントな数学に まとめられている.また,電子や光を制御するエレクトロニクスは量子力学を基 礎として成り立っていて,パソコン,携帯電話,デジカメ,音楽プレーヤーといっ た身近な家電製品にも量子力学の原理で動作する部品が使われている.数学を多 用することや扱う対象が電子などのミクロの世界のもので直接見たり触れたりす ることができないことから机上の学問的な性格が強かった量子力学であるが,実 験技術の発展に最近の高度な微細加工技術も加わって,その実用性はますます高 まってきている.実際,高度なナノテク技術や量子コンピュータといった新機軸 への応用が期待されている.本書は,量子力学をこれからどんどん使っていこう と思っている人を応援しようということから生まれたものである.数物系の科目 は,問題が解けてはじめて理解できたことになる.本書のような演習形式のテキ ストはそのような力をつけるには格好の教材である.
量子力学の学習では,確率波とか不確定性原理といった特有の概念を理解する こととそれらを具体的に表現するための数学手法を会得することが必要となる. そこで,シリーズの特徴である「例」「解く!」「練習問題」の 3 部構成によって, 効率的に量子力学のマスターを目指そう.まず解説を読んで基本事項と公式を確 認し,次に「例」を読もう.そして類題となっている「解く!」をやってみよ う.本書のような入門レベルでも量子力学の問題はそれなりに難しいものが多い から,自力ですぐに解けなくても全然構わない.何回か繰り返しチャレンジして 量子力学のやり方に馴染むことが大切である.フーリエ変換とか特殊関数のよう に大学ではじめて学ぶ数学がいくつか出てくるが,それらのことをよく知らなく てもいいので問題をやりながらじわじわ身につけていくことにしよう.練習問題 でとりあげたものの中には「例」や「解く!」で扱わなかった問題があるが,難 しそうならすぐ解答を読んでよい.
従来の演習書には,数学の証明問題のようなものがたくさん収められているが, 本書では最小限に留めている.古典力学と同様,量子力学でも粒子の位置やエネ ルギーを知りたいのだから,これらを具体的に計算する問題を随所に入れている.
量子力学の知識は原子核や素粒子の理解に必須であるが,工科系ではむしろ半導 体などでの電子の振る舞いがどのようなものであるかを知っていることが重要で ある.そのような目的のために電子工学などに関連の深い第 4 章,第 5 章に紙数 を多く割いている.また,第 4 章と第 5 章で取り上げた問題は,期末試験や大学 院入試で出題されることも多い.したがって,まずは第 5 章までを目標として学 習しよう.煩雑な三角関数の計算など忍耐が必要なものもあるが,なんとか粘り 強くやり抜こう.
第 6 章,第 7 章では,特殊関数が登場する.量子力学を難しく感じさせる要因 でもあるが,実際に使ってみればどうということはないものである.具体的に式 を書き出してみて親しもう.そのための問題も入っている.第 6 章に出てくる英 国の物理学者ディラックによって考案されたブラ・ケット記法は,量子力学を代 数的に表現するのにとても役に立つ.量子コンピューティングの理論などでもよ く使われているから,このような表記の仕方にはぜひ馴染んでいただきたい.第 7章は,原子や分子をミクロの視点で捉える量子化学への橋渡しにもなっている. 磁性は工学上重要な物質の特性の 1 つである.第 8 章は,磁性と関係の深いスピ ンの入門にあてられている.スピンは角運動量の数学から生まれた量子力学の申 し子であるが,物理と数学の密接な結びつきを示す好例にもなっている.最後の 第 9 章で,近似的にシュレーディンガー方程式を解く方法である摂動論と変分法 をとりあげる.高性能コンピュータが手軽に使える今日でも,これらの近似法は 量子力学で支配された世界の問題を解く有力な手段である.
一昔前までは量子力学の勉強というと,大家の書いた大部の教科書を一生懸命 解読していた(行間を読む!)という印象があるが,近頃は重要なポイントだけ を効率よく学習するための極めて手際のよい著作が増えてきて,量子力学への入 門の敷居はずいぶん低くなったようである.その端くれ足らんとする本書が,社 会と暮らしを豊かにする科学技術の研究・開発に携わろうという皆さんの学習の 一助になれば幸いである.最後に,読者の視点から貴重な意見を頂いた講談社サ イエンティフィク編集部の瀬戸晶子さんに深く感謝の意を表します.
2008年初春
伊藤 治彦
目次
理工系のための解く!量子力学 目次
はじめに………ⅲ
第 1 章 粒子と波動の二重性 ……… 1
1.1 エネルギー量子/ 1 1.2 光子/ 4
1.3 物質波/ 6
1.4 水素原子モデル/ 9
第 2 章 確率波の方程式 ………13
2.1 波束/ 13
2.2 シュレーディンガー方程式/ 17 2.3 確率波/ 22
2.4 物理量の期待値と演算子/ 26 2.5 不確定性原理/ 32
2.6 固有値方程式/ 35
第 3 章 自由に運動する粒子 ………39
3.1 固有関数と連続固有値/ 39 3.2 箱を用いた規格化/ 44
3.3 デルタ関数を用いた規格化/ 45
理工系の ための解 く!量子 力 学 目 次
第 4 章 量子井戸 ………49
4.1 無限に深い井戸型ポテンシャル/ 49 4.2 パリティ/ 54
4.3 重ね合わせの原理/ 60
4.4 有限の深さの井戸型ポテンシャル/ 63 4.5 量子条件/ 68
第 5 章 トンネリング ………72
5.1 反射と透過/ 72 5.2 トンネル効果/ 77 5.3 共鳴透過/ 83 5.4 透過因子/ 88
第 6 章 調和振動子 ………93
6.1 シュレーディンガー方程式を書く/ 93 6.2 級数を用いた解析解法/ 96
6.3 量子化された調和振動子/ 101 6.4 エルミート多項式/ 106 6.5 演算子を用いた代数解法/ 107 6.6 状態ベクトル/ 112
6.7 行列要素/ 118
第 7 章 中心力場 ……… 121
7.1 中心力場のシュレーディンガー方程式/ 121 7.2 球面調和関数/ 126
7.3 方向量子化/ 129
目次
第 8 章 スピン ……… 136
8.1 角運動量の交換関係/ 136 8.2 昇降演算子/ 138
8.3 スピン角運動量/ 140 8.4 スピノール/ 143 8.5 パウリの排他原理/ 147
第 9 章 近似法 ……… 151
9.1 縮退がない場合の定常的な摂動/ 151 9.2 縮退がある場合の定常的な摂動/ 156 9.3 シュタルク効果/ 162
9.4 時間変動する摂動/ 166 9.5 変分法/ 170
練習問題 詳解 ……… 176
第 1 章/ 176 第 2 章/ 177 第 3 章/ 180 第 4 章/ 181 第 5 章/ 185 第 6 章/ 186 第 7 章/ 190 第 8 章/ 191 第 9 章/ 195
索引……… 199